神我

色々と説明してきましたが最も大切な事は自信が神であると言う事をただ受け入れる事です。

神我とは自分が神であると言う意識です。

全てが神(神以外存在していない)なのですから自分が神だと言う意識はごく自然で、至極当然です。

自身の内に生命が宿っているのですから生命そのものである神と一体だと言うこともその通りです。神は無限ですから姿形はありません。故に全てに内在する不可視の御存在である神を五感で見る事は不可能です。また神に対して、あるいは神理に対して外から(知識)から完全に理解(開悟)する事も不可能です。なぜなら自らが神である事さえ知らないで外に神を見出す事は出来ないからです。

 

意識や思考のベクトルを外にでは無く内(内界)に向ける。そしてただ一心に自分は神であり創造主である神と完全に一体だと思い続ける。内観、瞑想、黙想です。この際外なる意識を閉ざす(肉体である自我(偽我)、雑念)事を無我と言います。

内界も神ですから無限です。ですからどこまでもより深く求めることが肝要です。自己(自我)満足で終わらぬように、どこまでもより深く繰り返し求めることが肝要です。

イメージはしない様に心掛けてください。イメージは外なるもの(偶像)ですから意識のベクトルが外を向いてしまいます。雑念瞑想となってしまうと折角の瞑想が台無しになります。

 

ここで知識に関してですが知識やその他凡ゆる現象は「道具」の様なものだと思って下さい。

道具は使い方によっては非常に有用です。しかし道具に囚われてはかえって道具に振り回されてしまいます。 これが様々な迷いや誤解を生み神から離れてしまいます。

正しい理解を確認する手段も内観や瞑想によって行います。そうすれば全知全能なる神が導いてくれます。逆にそれ以外の方法はない事を知っておいて下さい。

どんなに優れた大発見でも、また日常における些細なインスピレーションでもそれら全て神によって顕されています。神と一体の為自らの考えとして顕されます。決して自分が考え出したものではありません。その様な勘違いをする程神は一体として存在しています。